
経済視点で読み直す
偉人たち⑦
道徳と経済は
両立できるのか
渋沢栄一と
日本的資本主義の原点
はじめに
なぜ今、渋沢栄一を読み直すのか
2024年、新一万円札の顔に選ばれた人物
「日本資本主義の父」と呼ばれる
彼の名前は知っていても、
実際に何をした人なのか、正確に答えられる人は少ないかもしれない。
なぜ今、この人物が新紙幣の顔に選ばれたのか。
令和の日本が抱える課題を振り返ってみよう。
企業の不祥事が相次ぎ、
「利益至上主義」や「倫理なき経済」という
言葉がメディアを賑わせている。
格差は拡大し、
働く人々の幸福感は低下している。
そんな現代だからこそ、
渋沢栄一が再注目されている。
彼が生きた時代は、
日本が西洋の資本主義を導入し、
近代国家として歩み始めた激動の時代だった。
その中で彼が提唱したのは「道徳経済合一説」
つまり、儲けることと誠実であることは両立できるという考え方だった。
果たして渋沢の考えは
今でも通用するのだろうか。
時代背景とともに読み解いてみたい。
第1章 農民から武士、
そして実業家へ
渋沢栄一の生涯と時代背景
(現在の埼玉県深谷市)に生まれた。
生家は農家だったが、同時に藍玉の製造・販売や養蚕を営む豪農でもあった。
幼少期の渋沢が目にしていたのは、
農業だけでなく商業にも携わる家業の姿だった。
これが後の彼の経済観に
大きな影響を与えることになる。
青年期に入ると、渋沢は尊王攘夷思想に染まり、倒幕運動に身を投じる。
高崎城乗っ取りや
横浜外国人居留地焼き討ちといった
過激な計画を立てるほどだった。
しかし、運命は皮肉なものだ。
仕えることになった渋沢は、
1867年にパリ万国博覧会の日本代表団の
一員として渡欧する。
ここで彼が目にしたのは、
西洋の発達した経済システムだった。
株式会社制度、銀行制度、証券取引所
これらの仕組みが社会の発展を支えている姿を、渋沢は肌で感じた。
明治維新後、新政府は渋沢に大蔵省への
出仕を要請する。
彼は一時期、大蔵省の一員として
明治政府の財政政策に関わったが、
1873年に退官し、実業界へ転身する。
なぜ彼は安定した官職を捨てたのか。
その理由は、「官が直接事業を行うのではなく、
民間の力で経済を発展させるべきだ」という信念にあった。
当時の日本は、産業も金融も社会インフラも、
すべてが未整備の状態だった。
港湾設備も鉄道も、
近代的な銀行制度も存在しなかった。
渋沢は、この「何もない状態」を
逆にチャンスと捉えた。
民間の力で一から経済基盤を
築き上げようと決意したのである。
第2章
「道徳経済合一説」とは何か
儲けと誠実の共存を目指して
渋沢栄一が生涯を通じて唱えた思想が
「道徳経済合一説」である。
「利益は社会に役立つことの結果である」
これが彼の考えの根幹だった。
当時の日本では、「商売=卑しいもの」
という価値観が根強かった。
武士階級は商売を蔑視し、
儒教的な価値観では
「義」と「利」は対立するもの
とされていた。
しかし渋沢は違った。
彼は論語をよく読み、
その上で、
「真の儒教精神は商業と矛盾しない」と
主張した。
なぜなら、社会全体の利益になる事業を
行うことは、まさに「仁」の実践だからだ。
渋沢の考える「道徳」とは、
単なる綺麗事ではなかった。
事業を行う際は、以下の点を常に意識していた:
・その事業は社会の役に立つか
・関わる人々を幸せにするか
・公正な取引を行っているか
・従業員を大切にしているか
・顧客の信頼を裏切らないか
これらの原則を守りながら
利益を追求することが、
真の商業だというのが渋沢の信念だった。
欧米の資本主義との違いも明確だった。
欧米では個人の利益追求が
経済発展の原動力とされることが多かったが、
渋沢の考えは異なっていた。
「個人の利益」ではなく
「社会全体の利益」を優先する。
「競争」だけでなく「協調」も重視する。
「短期的な利益」ではなく
「長期的な信頼」を築く。
この考え方は、
現代のESG投資やステークホルダー経営の
考え方と共通する部分が多い。
株主だけでなく、従業員、顧客、地域社会など、
すべての関係者の利益を考慮した経営
これが渋沢の理想だった。
実際、渋沢が関わった企業の多くで、
この理念が実践されていた。
従業員の待遇改善、顧客への誠実な対応、
地域社会への貢献。
これらは単なる社会貢献ではなく、
長期的な企業価値向上のための
投資だったのである。
第3章
第一国立銀行から
東京証券取引所まで
日本の経済基盤を作った男
渋沢栄一が生涯に関わった企業の数は
500社を超える。
これは一人の人間が成し遂げた業績としては
驚異的な数字だ。
最初の大きな仕事は、
(後の第一勧業銀行、現在のみずほ銀行の前身)の設立だった。
当時の日本には近代的な銀行制度が存在せず、
金融システムの整備が急務だった。
渋沢は、西洋で学んだ銀行制度を
日本に導入した。
しかし、単なる模倣ではなかった。
日本の実情に合わせて制度を調整し、
日本人にとって使いやすい金融サービスを
提供することを心がけた。
第一国立銀行は、単なる金融機関ではなく、
日本の近代化を支える社会インフラとして
機能した。
中小企業への融資、個人の預金サービス、
為替取引など、
現代の銀行業務の基礎がここで築かれた。
製造業の分野では、王子製紙の設立に関わった。
当時の日本は紙のほとんどを輸入に
依存していたが、
渋沢は国内での紙生産の重要性を認識していた。
王子製紙は、
その後の日本の製紙業発展の礎となった。
海運業は島国日本にとって生命線だが、
当時は外国企業に依存していた。
日本郵船の設立により、
日本の海運業は飛躍的に発展し、
貿易の拡大に大きく貢献した。
金融市場の整備では、
東京証券取引所の設立に関わった。
株式会社制度の普及と資本市場の発展は、
日本経済の近代化にとって不可欠だった。
渋沢は、投資家保護と市場の透明性を重視した制度設計を行った。
教育分野では、商法講習所(現在の一橋大学)の設立に関わった。
単に商業技術を教えるのではなく、
商業倫理と実践的な経営知識を兼ね備えた
人材育成を目指した。
これらの事業に共通しているのは、
「利益ではなく公益のための経済」という理念だった。
渋沢は、
個人や特定の企業の利益のためではなく、
日本全体の発展のために事業を行っていた。
そのため、彼は特定の企業の株式を大量に保有して支配するのではなく、
多くの企業の設立や発展に関わり、
それぞれの企業が自立して発展できるよう支援した。
このアプローチは、
政府主導の経済発展とは異なる、
民間主導型の経済成長モデルを示していた。
政府は制度や法律を整備し、
民間が実際の事業を行う。
この役割分担こそが、健全な経済発展の基盤だというのが渋沢の考えだった。
第4章
政府と距離を取りつつ、
経済と国を育てるという立場
渋沢栄一の興味深い点の一つは、
明治新政府から何度も重要な官職への就任を要請されたにもかかわらず、
あえて民間に留まり続けたことだ。
大蔵省時代の同僚だった
政治家として明治政府の中核を担った。
渋沢にも同様の道が開かれていたが、
彼は1873年に大蔵省を退官して以降、一貫して民間の立場を維持した。
なぜだったのか。
渋沢は、「官」と「民」の適切な役割分担を重視していた。
政府の役割は法律や制度を整備し、社会の基盤を作ることだ。
一方、民間の役割は、
その基盤の上で実際の経済活動を行い、
雇用を創出し、国民の生活を豊かにすることだ。
この考え方は、
同時代の財閥との明確な違いでもあった。
三菱財閥の
いずれも政府との密接な関係を築き、政商として発展した。
彼らは政府からの特権や保護を受けながら、「一族の富」を築いていった。
しかし渋沢は違った。
彼は特定の一族や企業グループの利益よりも、
「社会全体の富」を優先した。
そのため、自分や家族が特定の企業を支配するのではなく、
多くの企業が健全に発展できる環境を整えることに力を注いだ。
この姿勢は、政府との関係にも表れていた。
渋沢は政府の政策を
盲目的に支持するのではなく、
時には批判的な意見も述べた。
例えば、政府が推進した官営事業については、
「民間でできることは民間に任せるべきだ」と主張した。
また、政府が保護主義的な政策を取ることにも反対した。
渋沢は、過度な保護は企業の競争力を弱めると考えていた。
自由で公正な競争こそが、企業と社会の発展につながるという信念を持っていた。
このような渋沢の姿勢は、国家と民間の「健全な緊張関係」を示していた。
政府と民間が癒着するのではなく、
それぞれが独立した立場で
社会の発展に貢献する。
政府は制度や法律で環境を整え、民間は実際の経済活動で成果を上げる。
この役割分担が、健全な国家発展の基盤だというのが渋沢の考えだった。
経済政策については、
直接的な関与は避けながらも、
政策の実現を支える基盤づくりに徹していた。
銀行制度の整備、証券市場の発展、人材育成など、
政府の政策が効果的に機能するための
「社会インフラ」を民間の立場で整備していったのである。
第5章
評価と再評価
なぜ今、渋沢栄一が再評価されているのか。
令和の日本が抱える経済的課題を見てみよう。
企業の不祥事が相次いでいる。
データ改ざん、品質不正、労働環境の悪化など、
「利益のためなら何でもする」という風潮が問題視されている。
格差も拡大している。
経済成長の恩恵が一部の人々に集中し、
多くの働く人々の実質賃金は停滞している。
経済の閉塞感も深刻だ。長期間の低成長により、
将来への希望を持てない人が増えている。
こうした状況の中で、「信用」「誠実さ」「公益性」という
言葉の価値が改めて問われている。
渋沢栄一の思想は、
まさにこれらの価値を経済活動の中核に据えたものだった。
2024年の新紙幣起用、2021年の大河ドラマ「青天を衝け」での
描写などを通じて、渋沢の考え方が広く紹介されている。
特に現代の経営者や若手リーダーの間で
「渋沢ブーム」が起きているのは、
偶然ではない。
多くの経営者が、短期的な利益追求の限界を感じているからだ。
株主価値の最大化だけを目指す経営では、
従業員のモチベーション低下、顧客の信頼失墜、社会からの批判など、
様々な問題が生じる。
一方で、渋沢の「道徳経済合一説」は、
これらの問題を解決する可能性を秘めている。
従業員を大切にし、顧客に誠実に対応し
社会に貢献する企業は、結果として長期的な成長を実現できる。
ESG投資の拡大により、このような企業が投資家からも
高く評価されるようになっている。
また、渋沢の「民間主導型経済発展」の
考え方も、現代に通じる部分が多い。
政府の役割と民間の役割を明確に分け、
それぞれが責任を持って社会の発展に貢献する。
これは、
効率的な政府と活力ある民間経済の両立を
目指す現代の政策課題と共通している。
渋沢の国際的な視野も現代的だ。
彼は日本の経済発展を目指しながらも、
常に世界的な視点を持っていた。
欧米の先進的な制度を学び、
日本の実情に合わせて導入する。
同時に、日本の良い点は維持し、発展させる。
この「グローバル化と日本的価値の両立」
という姿勢は、現代のグローバル経済の
中で日本企業が直面する課題と
重なる部分が多い。
ただし、渋沢の思想をそのまま現代に
適用することには限界もある。
彼が活躍した明治時代と現代では、経済構造も社会環境も大きく異なる。
また、渋沢の考えが常に理想的に
機能したわけでもない。
しかし、「道徳と経済の両立」
という基本的な理念は、
時代を超えて価値を持つものだ。
現代の経営者や働く人々にとって、
渋沢の考え方は一つの指針となり得る。
利益を追求しながらも、
社会への責任を忘れない。
短期的な成果だけでなく、長期的な信頼を築く。
これらの価値観は、
現代でも十分に意味を持つものだ。
最終章
渋沢栄一に学ぶ
日本的資本主義の原点
「稼ぐ力」と「誠実さ」は両立できるのか。
これは現代の私たちが直面する根本的な問題だ。
渋沢栄一の生涯と思想を振り返ってみると、
彼は明確にこの問いに答えを出していた。
両立できる。いや、両立させなければならない。
その根拠は、彼が実際に成し遂げた成果にある。
500社を超える企業の設立・発展に関わり、
日本の経済基盤を築いた。
同時に、多くの社会貢献事業も行い、
教育や福祉の分野でも大きな足跡を残した。
経済的な成功と社会的な貢献を
両立させた実例として、
渋沢の人生は非常に示唆に富んでいる。
しかし、グローバル資本主義の中で、
このような価値観は失われがちだ。
四半期ごとの業績向上、株価の短期的な上昇、
コスト削減による利益率改善──これらの指標が重視される中で、
長期的な信頼関係や社会への貢献は後回しにされることが多い。
その結果、企業の不祥事、従業員の不満、顧客の信頼失墜、
社会からの批判など、様々な問題が生じている。
渋沢の考え方は、このような状況に対する一つの解決策を示している。
「道徳経済合一説」の本質は、
短期的な利益と長期的な価値創造のバランスを取ることだ。
従業員を大切にすることで、生産性と創造性が向上する。
顧客に誠実に対応することで、信頼とブランド価値が向上する。
社会に貢献することで、企業の社会的存在意義が高まる。
これらの要素は、結果として企業の持続的な成長と利益向上につながる。
もちろん、渋沢の時代と現代では経済環境が大きく異なる。
彼が活躍した明治時代は、日本が近代化を進める成長期だった。
現代は、成熟社会の中で新たな価値創造が求められる時代だ。
また、渋沢の考え方にも功罪がある。
彼の理想主義的な側面は、
時として現実的な判断を曇らせることもあった。
また、彼が活躍した時代背景を考えると、
現代にそのまま適用するには限界もある。
しかし、
それでも渋沢の思想から学ぶべき点は多い。
特に、「志ある経済人」のモデルとして、彼の姿勢は現代でも参考になる。
経済活動を通じて社会に貢献する。 利益を追求しながらも、
関係者全体の利益を考慮する。
短期的な成果だけでなく、長期的な信頼を築く。
これらの価値観は、
時代を超えて意味を持つものだ。
最後に、
読者の皆さんに一つの問いを投げかけたい。
「あなたの仕事は誰を幸せにしているか?」
この問いに明確に答えられる人は、
渋沢栄一が目指した
「道徳経済合一」の
精神を体現していると言えるだろう。
利益を追求することは悪いことではない。
しかし、その利益が社会全体の幸福につながっているかどうかこれが重要な判断基準だ。
渋沢栄一の生涯と思想は、この判断基準を持つことの重要性を私たちに教えてくれる。
道徳と経済の両立、それは決して不可能ではない。むしろ、現代社会の持続的な発展にとって不可欠な要素なのかもしれない。
