一緒に学ぶ社会人ノート

自分なりに勉強をしたものを忘備録的にまとめています。

遣唐使と通貨の信用

命を賭して貨幣を持ち帰った

遣唐使と「通貨の信用」の物語

 

はじめに

お財布の中の1万円札、なぜ信用できるの?

 

あなたのお財布の中にある1万円札。

 

これはただの紙切れなのに、

なぜコンビニで1万円分の商品と

交換できるのでしょうか?

 

答えは

「みんながその価値を信じているから」です。

 

でも、この「信用」って一体

どこから生まれたのでしょう?

 

実は、その答えを探るには1300年前の

日本に遡る必要があります。

 

当時の日本人たちは、

命をかけて中国まで旅をし、

「お金とは何か?」を学んで帰ってきました。

 

その壮大な物語の主人公が「遣唐使」です。

 

今回は、彼らが持ち帰った

「お金の信用」という概念が、

現代の私たちの生活に

どうつながっているのかを、

ドラマチックなエピソードとともに

お話しします。

 

 第1章 

1300年前の「国際通貨」

唐のお金はなぜ最強だったのか?

 

阿倍仲麻呂の驚き

717年、19歳の阿倍仲麻呂

遣唐使船に乗って長安(現在の西安)に

到着しました。

 

そこで彼が目にしたのは、

想像を絶する巨大都市でした。

 

人口100万人を超える世界最大の国際都市。

 

シルクロードを通じて世界中から

商人が集まり、ペルシャ人、アラブ人、

朝鮮人、日本人が行き交う街。

 

そして仲麻呂が最も驚いたのは、

この巨大な経済圏で使われているお金でした。

 

「開元通宝」という名の世界通貨

 

唐で使われていた「開元通宝」は、

まさに現代のドルのような存在でした。

 

直径24mm、重さ約3.7g。

精密に作られたこの銅銭は、

中国国内だけでなく、朝鮮半島

ベトナム、さらには中央アジアまで

流通していました。

 

なぜこんなに広い地域で

受け入れられたのでしょうか?

 

答えは簡単です。

 

唐という国が圧倒的に強く、

豊かだったからです。

 

軍事力、経済力、文化力

すべてにおいて当時の世界最強国家だった

唐が発行するお金だからこそ、

「これは価値がある」と

世界中の人が信じたのです。

 

日本の「お金の悩み」

一方、当時の日本はどうだったでしょうか?

 

お金らしいお金はほとんどありませんでした。

 

米や布を物々交換に使う、

原始的な経済システムが主流だったのです。

 

これでは国際的な商売はできません。

 

外国の商人と取引しようにも、

「この米、美味しいから銅銭10枚と交換して」

なんて言っても相手にされません。

 

そこで日本政府は考えました。

 

「唐のような立派なお金を作って、

国際社会で認められる国になろう!」

 

でも、どうやって?

 

そのために必要だったのが、

遣唐使による「お金の研究」だったのです。

 

第2章 決死の航海

なぜ命をかけてまで学びに行ったのか?

 

 4隻の船に託された国家の夢

 

630年から838年まで、実に208年間。

 

日本は15回以上にわたって

遣唐使を派遣しました。

 

1回の派遣で4隻の船、

200〜500人の大所帯です。

 

現代でいえば、政府の重要人物を含む

大規模な視察団を中国に送るようなものです。

 

でも、なぜそこまでリスクを

取ったのでしょうか?

 

生還率60%の決死行

当時の船は、長さ30m、幅9mの木造船。

 

現代の感覚でいえば、

大型漁船程度の大きさです。

 

この小さな船で、荒波の東シナ海

600キロも航海するのです。

 

GPS もレーダーもない時代に。

 

結果として、

約40%が帰って来られませんでした。

 

遭難、病気、事故…様々な理由で、

多くの人が故郷の土を二度と

踏むことはありませんでした。

 

阿倍仲麻呂の悲劇

 

最も有名な悲劇が、阿倍仲麻呂の物語です。

 

717年に唐に渡った仲麻呂は、

優秀な人材として唐の政府で重用されました。

 

李白や王維といった有名な詩人とも交流し、

現地で「晁衡(ちょうこう)」という

中国名も得ました。

 

しかし、753年に帰国を試みた際、船が遭難。

 

仲麻呂は唐に戻されましたが、

もう二度と日本に帰ることは

できませんでした。

 

770年

仲麻呂長安で73歳の生涯を終えます。

 

彼の詠んだ歌

「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」は、

故郷への想いを込めた名歌として

今も愛され続けています。

 

 それでも続けた理由

 

これほどの犠牲を払ってでも、

なぜ遣唐使を続けたのでしょうか?

 

答えの一つが「通貨制度の習得」でした。

 

当時の日本の指導者たちは

理解していました。

 

国際社会で認められるためには、

信頼できるお金のシステムが

絶対に必要だと。

 

そして、そのお手本は唐にあったのです。

 

第3章 

持ち帰った「宝物」

それは銅ではなく「アイデア」だった

 

和同開珎誕生秘話

 

708年(和銅元年)のある日。

 

武蔵国秩父郡(今の埼玉県秩父市)で

銅が発見されました。

 

「これで唐のようなお金が作れる!」

時の政府は大喜びしました。

 

しかし、ただ銅があるだけでは

お金は作れません。

 

最も重要なのは

「どんなお金を作るか」でした。

 

そこで活躍したのが、

遣唐使として唐を訪れた人々が

持ち帰った知識でした。

 

「コピー」から始まった日本のお金

 

こうして誕生したのが「和同開珎」です。

 

見た目は唐の開元通宝とそっくり。

 

大きさも重さもほぼ同じ。

 

今でいえば、

AppleiPhone を作った後に、

各社が似たようなスマートフォン

作るようなものでしょうか。

 

でも、日本が学んだのは単なる

「見た目」だけではありませんでした。

 

 「信用」という魔法の仕組み

 

遣唐使たちが持ち帰った最も重要な発見。

 

それは「お金の価値は、

材料の価値とは関係ない」

ということでした。

 

開元通宝の銅の価値は、

実際の通貨価値よりも

ずっと安いものでした。

 

つまり、銅としての価値は1円なのに、

お金としては10円の価値があったのです。

 

これが可能だったのは、

「唐という強い国が発行しているから、

この銅銭には10円の価値がある」と、

みんなが信じていたからです。

 

これこそが「信用貨幣」という

革命的なアイデアでした。

 

 現代のお金の原理と同じ

 

考えてみてください。

 

1万円札の紙の価値は、

せいぜい数円です。

 

でも私たちは、

その紙切れに1万円の価値があると

信じています。

 

なぜなら「日本政府が1万円の価値を

保証している」と信頼しているからです。

 

この仕組みは、

1300年前に遣唐使が持ち帰った

イデアと全くの同じなのです。

 

 第4章 

失敗から学んだ教訓

なぜ和同開珎は消えてしまったのか?

 

 最初の大成功

 

和同開珎の発行は、最初は大成功でした。

 

政府は「この新しいお金を使いなさい」と

命令し、税金もこのお金で支払うよう

定めました。

 

しばらくの間、日本にも

「お金の文明」が根付いたかに見えました。

 

しかし、問題が発生

ところが、やがて深刻な問題が起きました。

 

問題その1:偽札の大量発生

 

和同開珎があまりに人気になったため、

勝手に作る人が続出しました。

 

現代でいう「偽札」です。

 

技術が未発達だった当時、

精巧な偽物を見分けるのは困難でした。

 

市場に出回るお金の半分が偽物、と

いう状況になってしまいました。

 

 問題その2:お金の価値の暴落

 

偽物が増えすぎて、

お金が世の中に溢れかえりました。

 

すると「希少性」がなくなり、

お金の価値がどんどん下がっていきました。

 

現代でいう「インフレーション」です。

 

「昨日まで米1俵買えたお金で、

今日は半俵しか買えない」

 

こんな状況では、

誰もお金を信用しなくなります。

 

 問題その3:経済レベルが追いついていない

 

最も根本的な問題は、

当時の日本の経済発展レベルが、

まだお金を必要とする段階に

達していなかったことです。

 

農村では米や野菜の物々交換で十分でした。

 

「わざわざ銅銭なんて使わなくても、

米で十分取引できるじゃないか」

 

多くの人がそう考えたのです。

 

600年間の「お金なし時代」

 

こうして10世紀後半には、

日本政府は独自のお金の発行を諦めました。

 

その後約600年間、

日本は本格的なお金のない時代を

迎えることになります。

 

この失敗から日本が学んだ教訓。

 

それは「お金の技術は真似できても、

それを支える経済や社会の仕組みが

なければ意味がない」ということでした。

 

 第5章 

「輸入通貨」という賢い選択

中国のお金を使った日本

 

 宋銭という救世主

 

和同開珎の失敗から数百年後。

 

日本に「宋銭」という中国のお金が

大量に流入してきました。

 

今度は日本政府が作ったお金ではなく、

中国から輸入したお金です。

 

 現代でいう「ドル化」

 

これは現代でいえば、

自国の通貨を諦めて米ドルで

経済を回すようなものです。

 

実際、現在でもエクアドル

パナマなどの国は、

自国通貨の代わりに米ドルを使っています。

 

日本も同じ選択をしたのです。

 

合理的な判断

 

「下手に自分たちでお金を作るより、

既に信用のあるお金を使った方が良い」

これは実に現実的で賢い判断でした。

 

中国の宋という国は経済大国で、

そのお金は品質も良く、偽造も困難でした。

 

何より、東アジア全体で通用する

お金だったので、国際貿易にも便利でした。

 

商人たちの活躍

 

この時代、日本の商人たちは

宋銭を使って活発に商売を行いました。

 

港町では中国商人との取引が盛んになり、

日本経済は大きく発展しました。

 

和同開珎の時代にはできなかった

「お金を使った経済」が、

ついに日本に根付いたのです。

 

第6章 

現代への教訓

ビットコインと1300年前の知恵

 

デジタル時代の同じ課題

 

現代の私たちは「デジタル通貨」

という新しい技術に直面しています。

 

ビットコイン、デジタル円、

各国のCBDC(中央銀行デジタル通貨)…

 

これらの新しいお金は果たして

普及するのでしょうか?

 

1300年前と同じ問題

 

実は現代のデジタル通貨が抱える課題は、

和同開珎が直面した問題と驚くほど似ています。

 

技術的には可能でも、

「みんなが使ってくれるか?」

という信用の問題です。

 

遣唐使たちの教訓

 

遣唐使たちが学んだ最も重要な教訓。

 

それは「お金の価値は、

発行者への信頼によって決まる」

ということでした。

 

唐の開元通宝が成功したのは、

唐という国の圧倒的な力があったからです。

 

和同開珎が失敗したのは、

当時の日本にはその信頼を支える力が

まだ不足していたからです。

 

現代の日本円が信頼される理由

 

現代の日本円が世界中で

信頼されているのは、

 

日本という国が:

- 経済的に安定している
- 政治的に安定している
- 法制度がしっかりしている
- 技術力が高い

こうした総合的な国力があるからです。

 

そして、その基盤となる

「信用とは何か」という概念を、

日本が初めて本格的に学んだのが

遣唐使の時代だったのです。

 

おわりに

1300年前の冒険者たちからのメッセージ

 

命がけで学んだ「信用」の大切さ

 

遣唐使たちは、

荒波を越え、

異国の地で学び、

多くの仲間を失いながらも、

「お金とは何か」を日本に持ち帰りました。

 

彼らが持ち帰ったのは銅銭ではありません。

 

「信用」という目に見えない、

しかし最も大切な概念でした。

 

 現代に生きる私たちへ

今、あなたがスマホで電子決済をするとき。

ATMでお金を引き出すとき。

給料が銀行口座に振り込まれるとき。

そのすべてが

「信用」によって成り立っています。

 

その「信用」の大切さを、

1300年前の日本人が命がけで

学んでくれたからこそ、

私たちは今、安心してお金を使うことが

できるのです。

 

未来への投資

 

遣唐使たちの冒険は、

当時の人々から見れば

「危険すぎる投資」だったかもしれません。

 

でも、その投資があったからこそ、

日本は国際社会で認められる国に

なることができました。

 

現代の私たちも、

新しい技術や制度に対して、

時にはリスクを取って

学ぶ勇気が必要なのかもしれません。

 

遣唐使たちが1300年前に示してくれた

「学ぶことへの情熱」と

「未来への投資精神」。

 

それこそが、

現代の私たちが最も必要としている

ものなのではないでしょうか。

 

次回お財布からお金を出すとき、

少しだけ思い出してみてください。

 

この何気ない

「お金」という仕組みの背後には、

命がけで海を渡り、

異国の地で学び、

そして多くの犠牲を払いながらも

「信用」という概念を日本に持ち帰った、

勇敢な先人たちの物語があることを。

彼らの冒険があったからこそ、今の私たちの便利で安全な経済生活があるのです。